ワールド女子プロレス・ディアナ | 志&ヒストリー
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 女子プロレスの歴史

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女子プロレスの歴史はイコール全日本女子プロレスの歴史でもあります。
1968年6月に旗揚げした全日本女子プロレス(以下、全女)は、76年突然巻き起こったジャッキー佐藤&マキ上田のビューティ・ペア人気により、第一期黄金時代を迎えました。キラキラの衣装と宝塚を思わせる演出が、当時の女子高生に絶大な人気を博し客席は女性で埋め尽くされました。

そしてその流れは、第二期黄金時代のスタートとなる1984年長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズへと受け継がれました。
基本は宝塚。絶対的なベビーフェイス(=正統派)のクラッシュと、悪の限りを尽くすダンプ松本率いる極悪同盟の来る日も来る日も繰り返される抗争が、観客を沸かせ 長与が男子プロレスの要素をそこに加えることにより、女子プロレスのステイタスを上げることにも成功しています。

第三期黄金時代は、この男子プロレスの要素が大きく影響することになります。クラッシュ引退後の冬の時代を経て、92年からスタートした団体対抗戦は、その過激な試合内容が男性ファンを呼び込み、女子プロレス新時代の源流となりました。専門誌である週刊プロレスのバックアップもあり、対抗戦の流れは、94年11月の東京ドーム興行で頂点を迎えました。

以降、団体対抗戦を継続しつつも徐々に全女の経営不振が表面化。

これはフロント陣がプロレス以外のビジネスに走ったことが大きな要因でした。不安を感じた選手、一部スタッフは97年7月アジャ・コングの退団宣言に始まり、雪崩現象のように離脱者が続出。

離脱した選手は2派に分かれ、井上京子をエースとする新日本女子プロレス(ネオレディーズ)とアジャを中心とする「アルシオン」が旗揚げに向けて動き出しました。

2005年4月すでに会社としての機能を逸していた全女が事実上の解散。

これを機に女子プロレス界は団体、フリーのユニットが数多く生まれ細分化することにより観客も分散化し、どの興行も観客動員では苦しい現状にあります。
男子プロレスでさえ、観客動員に翳りが見えているプロレス業界・・・冬の時代どころか、現状は氷河期と言ってもよいでしょう。

 ワールド女子プロレス・ディアナの志

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このプロレスというジャンルは日本が世界に誇れる文化の一つだと思います。

このまま、この『誇れる文化』を氷の中に閉ざしておくわけにはいきません!!

この分厚い氷を溶かす灼熱の様な『熱い想い』が今こそ必要なのです!!

そしてこの現状を打破し『女子プロレス界の人気の回復』と『女子プロレス界の存在価値』を上げていく為には『全く新しい路を切り開いていける団体』を作る事が、井上京子にとっての責務だと考えております。